私の一周忌
                     
市川 英雄  33年政経卒 副会長 

  この9月は私の幻の一周忌です。自分の一周忌とは何だろうとお思いでしょうが、実は昨年の9月に、私は三途の川を渡り、あの世の入り口に立ったのですが、門が開かなかったので、この世に引き返してきたのです。あの世の入り口付近の風景はいまでもはっきりと記憶に残っています。奥深い山中の幽玄の世界とでも言うのでしょうが、筆舌に現せない不思議な景色でした。
 発端は昨年9月1日のことでした。健康診断の結果、十二指腸に良質(ガンではない)の米粒大のポリープが1個あるというので、将来大きくなったり悪性に転化することを防ぐためとの理由で、内視鏡で除去することを担当医にすすめられ、僅か40分の時間で終わるということでオペに臨んだのです。それが人事不省
の始まりで、まったく意識がないまま生死の境を1ヶ月余りさまよった結果、7ヶ月も入院することになるとは夢にも思いませんでした。
 ポリープは採ったのですが、その十二指腸患部に孔をあけられてしまったのです。最初は8ミリ位の大きさの孔だったようですが、翌日の開腹外科手術の縫合に失敗し、2週間後の再度の開腹手術も失敗でした。この間、十二指腸の孔が大きくなって、胃液その他の臓器の液が孔から腹部に流出して、心臓その他の臓器を外部から溶かしだす危険性もあり、私は敗血症、腹膜炎等を併発して、出血を輸血で補い、高熱にうなされ続けました。集中治療室に入ったきり生きて出られようとは家族も思えなかったようです。
 この病院は明治創業のがん治療では有名な大病院です。不安の家族はその病院の良心的な外科医に相談したところ転院を勧められ、伝手を得て4週目にT女子医大へ救急車で私を転院させました。事前に情況診断書を携えてT女子医大を転院依頼に訪れた家族は、生命の助かる可能性が低いことを告げられて愕然としたようです。これらの事は、意識が全く前に戻った10月後半以降に家族、医師、看護士さん等から聞いた話です。その頃、主治医から、あなたは死から免られましたといわれた時は何のことか理解できずびっくりしました。何しろ元気で数十分の予定の内視鏡オペに臨み、その後すぐに日常生活の戻れるはずだったのに、自分の「死」なんて全然頭になかったものですから。
 T女子医大の担当医師や看護士さん達は献身的な努力を昼夜尽くしてくれました。最近では、胃ガンの手術でも3週間で退院できるとのことなので、6ヶ月余りの入院生活は果てしく思われた闘いでした。十二指腸穿孔が塞がるという保障はない治療なのです。もし6ヶ月経っても塞がらなければ、その時点で成功確立は別として、更に開腹外科手術で縫合してみるということでした。常に私と家族は不安に脅かされていました。健保適用外の外来高価薬も注射してもらいました。
私の腹からは約10本のチューブが胃等臓器に繋がれて突出し、その先端は臓液排出器に接続され、モーターで各液を排出・埋蔵して、真夜中でも定時毎に測量、捨てるのです。このため仰臥したままの期間がほとんどでした。意識のない期間も含めて約6ヶ月は口から食物を入れることはできませんでした。栄養剤は小腸に直接注入し、水分は血管へ点滴するという毎日で、入浴の代わりに体を拭いてもらうという単調な生活の連続です。家族、友人、知人の激励がなければ精神的に参ったと思います。当時の高橋稲門会長にも数回お越しいただきました。幹事さん方のお見舞い、太極拳部会の皆さんの激励寄せ書きも有難くいただきました。あらためて皆さんに御礼申し上げます。
 忘れもしない今年2月9日レントゲン検査で、十二指腸穿孔が塞がっているようだということになりました。奇しくもその日は私の誕生日でした。私は心の中で何回も万歳をしました。私の再生記念日となったのです。
 その後の回復テンポは速まり、2月下旬にはねんがんお重湯からお粥へと食物を口にすることができました。リハビリ体操も進んで、長いベッド生活で歩くこともできなかったのが、ステッキを使って何とか歩けるようになりました。
 今春3月27日、昨年9月1日から通算して6ヶ月と27日ぶりに退院しました。病院を出た開放感ですっきりして見る街中はすれ違う車中、歩道の人々もみんな楽しそうで街路樹の緑も大変美しく映えて見えました。
 最近、T女子医大病院の定期検査で、異常なしと確認してくれた主治医の助教授先生が、努力して甲斐があったと相好を崩して喜んでくれた時は、医はやはり仁なんだと目頭が熱くなりました。